語り部と歩く世界遺産熊野古道巡り
2015年11月
戸塚 寛
JA1PYP
前回の出雲大社などの山陰方面の旅から一年ぶりになってしまいました。当初は夏の初め頃に白神山地を計画していたのですが、諸般の事情により10月になって慌てて申し込んだツアーがなんと2回とも参加者が少なく催行中止になってしまいました。紅葉には遅かったようです。
旅行の気分になっていたので、同じ世界遺産ということで熊野古道にしました。出発は11月12日です。
前々回の佐渡旅行の時には、私とIZZさんが大宮からの途中乗車・下車と時間的に美味しかったので今回はPTOさんが新横浜からの途中乗車です。
東京駅の日本橋口の改札付近の集合場所に行くとIZZさんはすでに到着していました。添乗員の窪田さんとご対面です。お話ですと今回の参加者は46名だそうでバスの席に余裕がありません。
7:33発の新大阪行きのひかり503号で出発です。我々3名の席はABCと3列の並びでした。
朝食として万世のカツサンドとビールを購入しました。新横浜でPTOさんが氷を買ってきてくれたので、ビールの後は持参のスコッチオンザロックに変更です。

まずはマッカラン12年で乾杯

名古屋には9:17に到着。三日間お世話になるバスのガイドさんが待っていてくれました。
岐阜の会社で東濃交通バスです。運転手は体育会系の中畑さん、ガイドは佐藤みゆきさんです。

出発時間を示す時計

最初の休憩地の名阪関ドライブインはシャープ亀山工場の近くでした。関ドライブインは高速上でなく、インターを降りた一般道にありました。大きなドライブ インで名古屋あたりから紀州一帯の名産品がもれなく買える便利な場所。気前よく試食も出来ました。PTOさんは赤福を買いたがっていたのですがガイドさん が、賞味期限は2日だから今は買わないように、と言っていました。

今回のツアーではバス移動の時間節約のため、初日の昼食はバス内でお弁当です。我々三人はツアー会社に「名古屋三大名物幕の内弁当」を予約しました。お弁当は最初の休憩地の関ドライブインで調達したようです。
名古屋で三本のうちに入る美味しい幕の内弁当みたいですが要は「天むす」「みそカツ」「エビフライ」が入っているお弁当です。他に玉子焼き、蓮根はさみ揚 げ、鳥のから揚げ、竹輪天、きしめんサラダ、煮物、きのこ御飯等で構成されていました。11時頃にバスに戻ると席に置かれていました、さっき朝食を食べた ばかりなので気休めに11:30から頂きました。
あと一か所始神テラスというところで休憩。温州ミカンを道中のお供に購入。

最初の観光は熊野古道大門坂です。語り部同行ということで23名づつの2班に分けられました。我々は一班です。この班の組み合わせは三日とも同じでした。
大門坂は古道で一番美しいと言われる石畳の階段道です。樹齢800年と言われる夫婦杉を抜けて延びていました。入り口付近に多富気王子の石碑がありました。
多富気王子は熊野九十九王子の最終王子と言われているそうです。ガイドさんが言うところでは我々が歩いた石段は三百数十段だったようです。三日間で一番キツイ行程とのことでした。

 大門坂の入口、サッカーボールを持ったヤタガラスの像。なでしこメンバーの足型がありました。


石畳と著者


多富気王子の碑

歩いた先でバスが待っていてくれました。バスに少し乗ってしばらく行ったところが熊野三山の一つ那智大社です。正式には熊野那智大社&那智山青岸渡寺観光 です。熊野那智大社には拝殿のそばに樹齢850年のクスの御神木があり、300円の護摩木を買うと胎内くぐりが出来ます。拝殿は丹塗で傍に八咫烏の像があ りました。
青岸渡寺は西国三十三所の一番札所だそうで那智の滝の滝壺で見つけた観音菩薩が祭られているらしい。
境内にはきれいな三重塔がありました。拝観料は300円でした。この場所から那智の滝がよく見えます。
あとから傍まで行くのでちょいと写真だけ撮りました。

那智大社


那智山青岸渡寺


七五三、那智の滝を望んで記念写真

バスで少しの那智の滝が本日の最終観光地です。さすがに高さ133mの瀑布は迫力がありました。
滝の左に御瀧拝所舞台への道があり途中の参道で延命長寿の水が頂けるのですが300円掛かります。

那智の滝、透き通った滝つぼの水

本日の宿は串本市にある串本ロイヤルホテルです。ダイワハウスの系列のようです。
ホテルへの道のりで虫食い岩、鯛岩、ゴリラ岩、顔面岩、橋杭岩等の奇岩の紹介がありました。
串本ロイヤルホテルも明日泊まる南部ロイヤルホテルも今回のツアー会社のランクではAになっているのでまあ良いホテルでした。この夜、私は早く寝てしま い、せっかく榎本さんが焼いてきたクサヤの干物が食せなかったのが残念です。翌日の朝は8:30出発です。朝食のバイキングは皆さんの評判は良かったよう です。(私も食べましたが)

橋杭岩、1日目、2日目と3日目に通りました。今回は同じところを行ったり来たり。

昨日、通った国道42号線を新宮市まで戻り、熊野川沿いに左折して国道168号線を熊野本宮大社に向かいます。
熊野川の川幅は広く気持ちの良い景色が続いています。数年前の戸津川村の洪水と関係していたであろう、崖崩れの跡がところどころにあり改修工事が行われていました。この場所は瀞峡(どろきょう)と言って、瀞八丁巡りの観光船が就航しています。
この、観光船は吃水の浅いウォータジェット船で出発地が志古と言うところにありました。本宮観光のあとここへ戻って昼食になります。(何か行程が重複します。)
那智本宮大社は熊野三山の中心で全国3,000社以上ある熊野神社の総本山です。正確には総本宮ですね。
バスの駐車場から一の鳥居をくぐって百数十段の石段を登って境内に到着します。
向かって左に拝殿があり七五三の祈祷をやっていました。拝殿の前には八咫烏が乗っている黒い郵便ポストがありました。正面少し右に本殿に入る神門があり、出雲大社には負けますがかなり太いしめ縄がぶら下がっていました。
 
長い山門の入口の鳥居、石段

拝殿、と大しめ縄のある神門

御社殿のパノラマ(スマホで自動作成 ) 

ヤタガラスの碑とヤタガラスの乗った黒いポスト(実はこの写真は看板写真から)

神門を潜ると建物としては3棟、神殿としては4か所が長いけど奥行きの狭い長屋門に囲まれています。右の外側に満山社があります。この五か所の神 様には参拝の順序があります。配置としては左から1殿から5殿の満山社なのですが順序は①3殿「証誠殿」素戔嗚命(すさのおのみこと)②2殿「中御前」速 玉大神③1殿「西御前」④4殿「東御前」天照大神(あまてらすおおみかみ)⑤「満山社」八百萬神(やおよろずのかみ)です。
一の鳥居まで戻ると「もうでの餅」を売っていました。話では明日行く熊野速玉大社では搗立てを売っているとのことです。
国道を横切って5分ほど歩くと高さ33.9mの日本一の鳥居があります。大斎原(おおゆのはら)と言う場所で明治22年の大洪水まで熊野本宮大社があった場所です。
私は時間がなかったので数十メートル前で引き返しましたので材質はわかりませんでしたが鉄筋コンクリート作りだと思います。榎本さんは近くまで行って、八咫烏ポストの写真看板の写真を撮ってきました。ですからこの紀行文についている写真は本物を撮ったのではありません。

大鳥居、熊野本宮大社の旧社地を示す碑

志古の観光船乗り場まで戻って昼食です。「熊野牛陶板焼き定食」は鮎の塩焼きも添えてあって美味でした。

今日のお昼とウォータージェット乗り場

国道311号線で熊野古道中辺路道の駅に向かいます。道の駅で本日の語り部とご対面です。我々の一班は大野純さんという女性でした。
ここで熊野古道の王子の説明を百科事典から引用させていただきます。(自分で説明が出来ません)

「九十九王子(くじゅうくおうじ)とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた 熊野修験の手で急速に組織された一群の神社をいい、参詣者の守護が祈願された。したがって、その分布は紀伊路・中辺路の沿道に限られる。」

この王子に500m毎に番号が振ってあって今回我々は24番から26番の1.5kmを歩きました。
道の駅、「熊野古道中辺路」を出発して、牛馬童子バス停前から古道に入り、牛馬童子像(ぎゅうばどうじ)を経て近露王子(ちかつゆおうじ)から熊野古道美 術館前の駐車場まで熊野古道のさわりだけ歩きました。印象を言いますと木が若い。昭和30年ごろ植えた杉と松の林です。松はアメリカ産米松で葉っぱが3本 でした。戦争中に古い木は全部切ったのかも知れません。途中に昔の旅籠跡がありました。
跡と言っても竹林とトイレ穴が根拠?でした。ここでまたバスに乗って熊野古道を行くと6時間、バスだと15分の滝尻王子見学です。熊野神の分社として特に格式の高い五体王子の一つだそうで立派な社がありました。
明日詳しく説明する梛(ナギ)の葉っぱ探しもして、富田川の反対にある熊野古道館を見学しました。中辺路町観光協会事務所も兼ねています。(私見)ここまで語り部 さんの説明がつきます。何とか天気も持ちました。大野さんの人生はここでは書きませんが波乱万丈のようでした。

2本でなく3本の葉、アメリカ松だそうです

 この道は熊野古道ではありません、の看板には笑えます
 

南紀南部ロイヤルホテルに向かう前にお楽し みの梅干しやです。東京のスーパーにも置いてある「梅干し田舎漬け」でお馴染みの中田食品株式会社です。ここの売店の建物は熊野杉の大木を使っていてそれは 見事な艶でした。皆さんに見学をお勧めです。
毎年、生成り完熟梅を南部の坂田農園から20kgも購入している私がお土産の梅干しを買うわけはありません。
ホテルのお風呂も夕食を楽しんだ後の部屋のみは元気にお燗酒を楽しみました。今回は私の定番である錫製ちろりの他に青木さん持参のお燗器もうまくいきました。幅が広くて浅いステンレスカップがあればさらに完璧なお燗器になるでしょう。

三日目は雨です。紀伊半島南端の潮岬が最初の観光地です。
クリアではなかったけど田辺、白浜、すさみと南紀西海岸沿いの景色を楽しみました。
潮岬ではオプションで「潮岬観光タワー」見学があります。本州最南端地にきれいな芝生が生えていてそこで
散策を選べるのですが暴風雨では選択肢はありません。全員が通常300円団体割引200円の観光タワーを選びました。
「本州最南端訪問証明書」付きです。(お得でしょう)我々は自分でスタンプまで押しました。
結果論的に言うとこの観光タワーの屋上(海抜100m)の暴風雨体験は今回の旅行のハイライトでした。
私は耐水圧1,000mm以上のレインウエアに身を固めて行ったのですが、まじに自分の体が吹き飛ばされる
恐怖を味わいました。皆と行った2回目は大したことなかったのでほんの一瞬だったのでしょう。
結果的には大雨だったのは3日間でこの潮岬だけでした。串本市の橋杭岩を3回も見て熊野速玉大社です。


最南端の碑と、本州最南端証明書。橋杭岩は今回の旅行では3回ほど通りました。

大鳥居をくぐる参道には梛(なぎ)の並木がありましたが、葉っぱは落ちていません綺麗に清掃されていました。
神門にはここでもかなり大きな注連縄(しめなわ)がぶら下がっていました。
熊野川の神格化の速玉大神と夫須美大神を中心とした18の神が祀られているとありますが丹色が鮮やかすぎて新しい感じです。屋根も他の2社は檜葺きなのに対して銅葺きでした。軽い感じです。
 圧巻は樹齢1,000年の梛の御神木でした。ここでも梛木の落ち葉を探しましたがなかなか見つかりません。
神門前に珍重庵のもうで餅を売っており昨日、本宮前で「速玉大社では搗きたてを売っている」と言っていた
お店のようです。
青木さんが一個買ったので見ていたのですがなんとここには梛の枝付きが置いてありました。
 青木さんはお餅を買った特典で枝付き葉っぱとなんと種までもらったのでおすそ分けを頂きました。
 写真をよく見てください。通常の葉脈がないでしょう。このため引っ張っても千切れにくく、縁結び、金の切れ目がない等の縁起物とされているようです。(注: 平行脈といってそれほど珍しいものではないようです)


なぜか白人の登山グループがタクシーで乗り付けて来て、ここから本宮までの熊野古道巡りを始めるようでした。
バスに戻ったら座席にお弁当が置いてありました。本日は移動が多いので昼食は各自バスの中で適当な時間に食することになります。

次の観光は花の窟(はなのいわや)とその前の海岸である七里御浜です。ここは語り部さんが付きます。
速玉大社から国道42号線を熊野灘沿いに北上した、熊野市の有馬町にある花窟神社です。
ここは熊野古道と一緒に2004年に登録された世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部です。
日本書紀にイザナミノミコトの墓所として登場する神社でご神体は高さ45mの巨岩です。岩の頂上から海岸沿いにある柱に藁縄が通してあり数本の縦縄がぶら 下がっています。年2回の「御縄掛け神事」ではまず、頂上から海岸までもち米の藁縄7本撚りを170m引っ張って柱の上まで仰角を浅くして固定する。固定 してから余った縄は道路沿い添わして別の低い柱に巻いておく。等の説明を熊野ボランティアの野球帽を被ったおじさんが説明してくれました。
七里御浜は砂浜ではない玉石海岸で石を3個まで持ち帰って良いのだそうです。


帰りは途中、行きにも寄った関のドライブインで休憩しました。青木さんは待望?の赤福を2個と我々の飲料であるワインを2本買ってきました。
名古屋発の新幹線は19時29分発です。2時間前には無事名古屋駅に到着。お疲れさまでした。
私と青木さんの座席の前の網にワインが2本空になっており、忘れ物確認の運転手がそれを見てあきれて笑っていましたが誤解です。持参のボトルに移し替えて新幹線で飲んだだけです。
約2時間の名古屋での待ち時間は駅前のミタニビルの5階にあった「さかなや道場」で供出金の残金を使って打ち上げました。

今回の旅行の打ち上げです。

これ、とこれ、とこれ、とこれも写真です。

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