戸塚 寛 JA1PYP
2017年6月
飛騨高山、白川郷、立山黒部アルペンルートの旅

死ぬ前シリーズの続 編です。今回の旅行のいきさつを、少々語らせてください。いつものスラッシュメンバー以外に高校の同級会有志に幅を広げて、新宿から「あずさ」で松本まで 列車移動、松本で2泊するレンタカーの旅を企画しました。しかし、日程の都合がつかず中止になりました。私は町内会のゴルフコンペをキャンセルして、すっ かり旅行モードに入っていました。諦めきれない私たちの気持ちを察して、榎本さんが探してくれたのが、表題のツアーです。

今回は初めて
H.I.S.さんです。集合場所も初めての都庁前大型バス乗り場。「なんで新宿バスタじゃないの」と言いながら、工学院大学、京王プラザホテルを左に見てようやく都庁に着きました。730発のツアーでしたが、7時過ぎには我々は全員集合です。8時前なので都庁への入り口は閉まっており、近くの公衆トイレで用を済ませます。なにせ2時間はバスの中ですから。

添乗員は三小田さんと言う
30歳前の可愛い女性。バスは大宮ナンバーの中央交通。運転手さんは川久保さんです。バスの車体広告は全面H.I.S.ブルーで大きく社名が入っています。途中の休憩駐車場でのバスの乗り間違いは絶対ありません。

HISのラッピング

ここで疑問です。バスの所属会社名にH.I.S.さ んの名前はないので、バスの運行はしていないことが判明しましたが、クラブツーリズムのマークが入ったバスはこれも単に広告だけなのか?皆さん、調べてく ださい。(インターネットで調べたところ、バスの製造会社と設計企画から参加のトイレ付特注バスであるが運行会社とは専属契約、とありました)

ここで今回のびっくりポン報告です。参加者は40名強でしたが、半数以上が外国の方でした。初めての経験です。添乗員の三小田さんも、日本語に併せて簡単に英語でもアナウンスをしていました。かといって、白人は一人もいらっしゃいません。フィリピンの一家族とあとは中国系と思われました。

ここで個人的な旅行の説明です。
35年 ほど前に会社の旅行で名古屋、犬山に行ったとき有志で高山に一泊追加したことがあります。この時、レンタサイクルを借りて観光したのですが、お尻のポケッ トに入れた定期入れを落とし、運転免許が再発行になった思い出があります。しかしこのときの痛恨は名古屋城で写真を撮ってあげて送付の約束をした、新婚夫 婦の住所を無くしたことです。たしか、熱田区でした。白川郷は初めてです。アルペンルートはこれも30数年前に、JA1ODAの横山さんと会社の同僚の小林秀夫さんと3人で「下の廊下」を歩いたときに大町から入って扇沢からトロリーバスで黒部ダム駅までは行きました。そこから先は今回が初めてです。死ぬ前に一回、雪の大谷を見たい気持ちでの参加です。

都庁の大型バス乗り場は屋内なので、アイドリング禁止のようです。バス内での待機は冷房なしの為かなり辛かった。
斜め前の
3人組が添乗員に受付をしないで乗り込んできたため、携帯で「もうバスに乗っています」などと言う間抜けな会話をして数分遅れの出発です。

少し走って赤信号での停止でいきなり運転手さんが後ろを向いての挨拶です。添乗員さんからは本日と明日の昼食オプションの案内。我々は室堂駅内の昼食のみお願いして、官費の徴収です。今回は5,000円にしました。

道は空いていて快調でした。途中双葉の
SAでトイレ休憩と昼のお弁当を買いました。私と青木さんは、おにぎり弁当、榎本さんはおにぎりセット、森口さんはおかずパンです。

中央道から長野自動車道へ入り松本
ICで降りる予定が松本市内の渋滞状況の関係か、塩尻北ICで降りました。

ここで少し渋滞があり松本平広域公園総合球技場、通称アルウィンを左手に見ながら松本の友人に「今、サッカー場を通過」などとラインをしながらの実況中継。


国道
158号をひたすら平湯温泉に向かいます。途中に上高地に向かう釜トンネルの入り口を通過。平湯温泉は飛騨高山の住所でした。安房峠が県境のようです。

ここで休憩です。昼食を平湯で頼んだ方は、ここのベーカリで焼いているクロワッサンが
50円引きの450円で買える仕組みでした。平湯から158号線を30分ほど走って高山です。

高山での観光は約
1時 間。昔は数ある小京都が売りの、ただ古いだけの風情のある街だったのですが、大分様子が違っていました。昭和レトロを売りにしているように感じました。商 店街は変な表現ですが古く見える様にリニューアルされており、電線も多くは地中埋設、道の両側にある側溝の蓋も木製のデザイン蓋になっていました。完全な 観光都市です。日活の古い看板、ガソリン46円の看板と、古い昭和石油のガソリンポンプ等がありじっくり見て廻りたい街でした。


町並み保存区域

我々は添乗員さんが時間的に無理と判断してお勧めしなかった高山祭屋台会館に行きました。官費から各自900円の出費です。学芸員?と思しき女性の15分間の案内が付いていました。我が埼玉県の秩父の夜祭を含む、日本三大夜祭の高山まつりの11台の屋台のうち4台 と大神輿が展示されています。屋台は博多と同様に各町内に格納庫があり普段はそこに収めてあるが、順番にこの会館に季節展示されるようでした。神輿は巨大 で華麗。私は富岡八幡宮にある佐川急便の会長が寄贈した大神輿が一番高価な神輿と思っていましたが、こちらのほうが高そうでした。こちらは明治21年から5年掛かったとありましたので価格の比較はできません。



会館の隣にあった、桜山日光館と言う日光東照宮関係の十分の一の模型が素晴らしかった。お勧めです。なぜかというと日光のドローンショット、空撮が撮れました。


時間がないので、次の目的である「飛騨牛の握り」を求めて、上三之町本通りを散策。青木さんと森口さんは食中毒になる危険を感じたのかパスでした。一応ガスバーナーによる炙りが入っていました。ウエハースと言うかエビの香りのせんべいに
2貫載っています。値段は500,600,800円でした。斜め前にもライバル店がありました。こちらは500円のみだったようです。

バスの出発時間の14:30にギリギリで間に合って、バスの中でゆっくり日本酒のアテとして飛騨牛握りは頂きました。再び158号線に入り飛騨清見ICから東海北陸自動車道の白川郷IC経由で白川郷まで1時間。初めて乗る高速道路です。

このような道路が出来たから可能なツアーですね。ここでも滞在時間は約1時間です。バスはせせらぎ公園の駐車場に停まり、ここから白川郷巡りです。公園内の「総合案内であいの館」も合掌作りでした。合掌作りの公衆トイレに初めて入りました。

傍に庄川が流れてお り、これを渡る橋を「であい橋」と言います。これが吊り橋なのですが、なぜか床がコンクリートの様に見えます。吊り橋はそれなりに揺れましたがコンクリー トにはひび割れはありません。緩衝材が入っているのか鉄筋の網は入っているのでしょうが良く出来ていました。
 
この建物にライブカメラが設置してありました

橋を渡ると左に秋葉 神社がありそれを抜けると右に合掌作りの民宿「幸エ門」があり、忙しそうな台所が見えました。民宿「利兵衛」を左に曲がるとメイン通りに入ります。この通 りに面した合掌作りのお宅群は皆、観光を生業にしているようでした。結局、皆さんは白川郷の俯瞰ショットが撮れる、萩町城跡の展望台に向かったようです。
ここで残念だったのは、スイレン池から出る展望台へのシャトルバスの最終時間が3:40で数分の差で間に合わなかったことです。バスで登れば帰りは早めに徒歩で下って和田家の見学も可能でした。
 


私は、と言うと仲間に展望台からの撮影は任せて、入場料300円也の和田家を見学してきました。庄屋と言うかこの地区の名家らしく巨大な家でした。黒色火薬の原料である硝石の集荷問屋のような仕事をしていたらしい。TV取材の有名人色紙がたくさん貼ってありました。

一人で駐車場に向かうと他の三人はライブカメラの位置を察知したらしく皆で写ってダウンロードしてLINEを通じて友人に発信していました。

ライブカメラで遊びました

バスは定時に発車して宿泊地の富山市に向かいます。本日はアパホテルなので個室を予約して鼾の心配はありません。いつも私が皆に迷惑を掛けています。

このホテルなのですが、パンフにはアパホテル富山または富山駅前とあります。駅前店が希望でしたが富山店でした。裏にアパホテルの前身「新開ホテル」時に建てたと思われるマンションがありその1階が日帰り温泉施設になっておりここには無料で入れます。

到着が6時過ぎで夕食が6:30開始のバイキングになっているため、お風呂は後にしました。夕食はズワイガニと甘えびが食べ放題になっていました。それなりに美味しかった。


お風呂ですが浴衣姿で隣のマンションに行くのはちょいと抵抗がありましたが、利便性には勝てません。それより風の抵抗が凄かった。
富山は風の街であることを実感しました。「越中おわら風の盆」があるはずです。温泉はアルカリ泉で気持ち良かった。


入浴の後は、せっかく富山市内に宿泊なので富山ラーメンを食べに行くことにしました。しかし、ここは駅前ではないので歩いてはいけないようです。フロントに聞いてタクシーを呼び運転手さんにも聞くことにしました。
タクシーは電気交通 タクシーで運転手は伊藤さん。伊藤さんによると富山ラーメンの特徴はガテン系のお客の為、非常に塩辛い。彼、お勧めの富山黒ラーメンはネギの大量投入によ り辛さがマイルドになる店であるが場所が遠い。結局、ホテルフロントお勧めの「西町大喜中島店」にしました。

注 文は中華そば、チャーシューメンマ、ビール です。味は最初から薄くできるが注文によりタダでスープを追加できるとのこと。ビールとアテのメンマを食べたらビックリポン。塩抜きが甘いというか異常に しょっぱかった。青木さんがお水を注文すると、濱田岳に似ているウエイターが「お水はセルフです」の返事。そして着丼、食べてみると聞きしに勝る塩辛さで した。


お湯(スープとあるが油膜が浮いたお湯でした)で薄めてもダメでした。黒いのはイカ墨でもなんでもなく濃口醤油だったようです。
この大喜と言う店は昭和22年 創業の元祖富山ブラックとありましたので、私の目的は達しました。ラーメン屋のパンフには「まず混ぜよ」とありましたがメンマが異常に塩辛くてスープは薄 いので混ぜるとちょうど良くなる。ならわかりますが混ぜても味は変らなかったと思われます。全員残しました。この時代錯誤のラーメン店を潰さない富山市民 に敬意を表します。

翌日はバスが
7:20の発車なので、6:30の朝食開始時には食堂に全員が集合していました。メインイベントの立山黒部アルペンルートへの出発です。しかし、お天気がNGでした。

立山駅まで約1時間で着きました。途中、近くの山は見えていましたが、立山方面は雲の中でした。標高475Mの立山駅でトイレを済ませ、9:00発の斜度24度のケーブルカーに乗りました。約7分で標高977Mの美女平駅に着きました。


前 に座った老夫婦は一週間の優雅な旅行をしているようでした。「本日は室堂のホテルに泊まって、明日は京都に行く」と言っておりました。美女平からバスがす ぐ出るので、トイレは立山駅で済ますようにと添乗員さんから何度も言われた割にはバスの発車までかなり待たされました。
920発です。後で時刻表を見ると正規の連絡時間でした。年寄りは気が短いのです。


ここからのバスはツアー占有ではなく、路線バスの相乗りで、補助席は使うが、立ち席はなし。と言うシステムのようでした。そのため間の悪いことに最後尾に座った
4人の間にフィリピン人のお父さんが座ってしまいました。青木さんとの英会話で「私は女房と一緒だが貴方たちは男だけの旅行で良いなと親指を立てていました」。

バスは良い感じの残雪の森林を進みます。この辺は森口さんの動画を見てください。

途中で落差
350Mの 日本一の「称名の滝」が見える箇所で停まりました。前から少しずつカーブを移動してくれて、皆さんにシャッターチャンスを与えてくれたのですが、最後尾の 私たちの番になったら、後ろからのバスが追い付いてきた為、発車です。「おいおいそれはないよ」でした。雪の大谷にはまだ、信じられないほどの雪がありま した。

最後尾の私達からかろうじて見えた称名の滝     雪の大谷

東京の
5月は連日の夏日でした。もう雪はないだろうと勝手に思っていたのでラッキーでした。室堂には1010分に着きました。

しかし、室堂では若い管理人(スキー場のパトロール風)と思しき男が「午前中は外出禁止です」と勝手に言って出入り口のカギを閉めていました。と言うことで暴風雨の為、歩いての観光は出来ませんでした。

天候には勝てません。それだけにバスから撮った大谷の写真は貴重です。
 
 

室堂駅(ホテル)の食堂で三色肉そぼろ弁当.さらさら鍋と称するみそ汁の昼食を頂く
1130分までの時間潰しに困りました。雄山の頂上にあったお社(やしろ)を復元修理して飾ってある駅舎ホテルの最上階で写真を撮り、あとは1階の待合所で添乗員の三小田さんと一緒に写真を撮ったり、持参のワインを呑むことしか出来ません。申し遅れましたが立山の別称を雄山(おやま)と言うようです。皆さん、雄山と言っていました。


室堂発1215分のトロリーバスに乗り25分に大観峰駅に着きました。この関電トロリーバス、鉄道に分類されるのだそうです。運転席にハンドルはついてますがメーカー類は電車仕様でした。

2316Mの大観峰展望台付近にも、かなりの雪が残っていました。しかし山の展望はゼロでした。雨なので私は階段途中の屋根のある場所で撮影しただけでした。
展望台からは他の三名の写真をご覧ください。

ということで雪の大谷を楽しんで(?)来ました


12:40時発のロープウェイに乗り12:47黒部平着。

実際にはロープウェイ内で撮った写真が12:49になっていたので少し運行が遅れていたようです。
黒部平には30分ほど滞在しました。

1320発の黒部ケーブルカーに乗り黒部湖着1325分。そこから歩いて黒部ダムの散策です。榎本さんは元気に黒部湖が俯瞰で見える展望台まで登っていきました。青木さんも新しく出来たダム放流観光テラスに降りていきました。


 

このルートも帰りは登るので元気な方です。私はちょうど日が差して温かくなったトロリーバス入口の隧道前にあるベンチで日向ぼっこしていました。快適でした。森口さんも同様です。

1435分発のトロリーバスに乗り、黒部の太陽でお馴染みの破砕帯を示す青色照明帯を通過して、扇沢に着いたのは1451分。すぐにバス乗車のはずが中方の3名が乗り遅れてしまい、この方たちが1505分発15時21分着に乗れたと連絡が入り、扇沢の出発は1530になりました。遅れたのは、前日の斜め前の3人組です。

途中双葉SAでトイレ休憩をした際、官費の端数返金の牛肉マンをご馳走になりました。森口さんはアイスクリームのリクエストだったようです。

高速道は至極順調で、新宿に1930頃着くはずだったのですが、途中の事故渋滞で石川SAで臨時トイレ休憩。結局20時ちょうどに新宿に着きました。

帰りは都庁ではなく駅前でした。お疲れさまでした。弾丸ツアーの為、いつもの打ち上げ呑み会をする元気すらなく、官費の払い戻しを受けて満員の山手線に乗り込みました。それでも8時半には浦和にたどり着きました。

総括します。なぜ外国の方がこんなに多かったのか考察してみました。

利に長けている中方ばかりだったのか?

立山黒部アルペンルートに新宿から行く最安値だったのかと思います。私の感覚で

昔からアルペンルートの交通費は異常に高かった。数十年前から環境に優しい電気だからトロッコ電車も含めて高いのはしょうがないと思っていました。

ここで計算です。我々はバスで立山駅まで行って扇沢からバスに乗ったのですがこの間の乗車賃は8,290円でした。ちなみに地上を迂回した、川久保運転手に聞いたら運転時間は正味3時間半とのことでした。回送業務も重労働です。

このアルペンルートを富山から信濃大町まで行くと料金は10,850円です。

新宿から富山間は新幹線利用で12,520円、信濃大町から新宿まで特急利用で7130円合計30,500円でした。

ゆえに、今回の旅行代金より高いのです。合理的な旅行です。しかしハードでした。

我々は年金生活者だけど次回は考えます。とここまで書いてやはり背に腹は代えられません。

数日経っての三州屋神田駅前店での反省会での話です。疲れ等の肉体的苦痛は時とともにすっかり忘れ、良い思い出だけ残るので、安い旅行に2回行った方が良いなどと言う発言も出てきました。反省会には参加しなかった森口さんも「あわただしかったけど、結構おもしろくてリフレッシュできました」とメールが来ました。天気は悪かったけどやはり行って良かったと言えます。白川郷の家と家の距離感、集落の大きさ等は行かないとわかりません。

最後の考察。今思い起こして日本の方が半分以下と冒頭に述べましたが

トロリーバスに乗り遅れた3人の方の話をした時、申し込んだ代表者は帰化した日本名だがあとの2名は外国の方と言っていました。確かにバスの席を示す名前は代表者名と人数です。今回の旅行で日本への観光客らしかったのは前述のフィリピン人一家だけであとは日本で仕事をしていそうな方が多かった。中国残留孤児とその親戚みたいな方は当然日本名です。我々の後ろの席の4人組も旦那は日本人、奥さん中国人。この間の会話は日本語でしたが、奥さんの友達とその息子とは旦那は英語で話していました。グループ全員日本人は私たちだけだったのでは。と言う気がしてきました。さすがに、それはないか。

黒部平でケーブルカー会社の職員が観光小冊子を額に汗して懸命に5分間も売り込んだお土産を一人も買わなかったのはびっくりしました。

私は初めて、仲間と添乗員さん以外のツアー客と一度も口を利きませんでした。

それではまた次回まで。

 その他の写真はここにあります

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